1940年(昭和15年)2月2日、日本の国会で、とんでもない発言が飛び出しました。
当時、日中戦争の泥沼化が進み、「聖戦」という言葉で国民の犠牲が正当化される中、一人の議員が権力と世論に真っ向から異を唱えたのです。その名は、齋藤隆夫。彼が行った、後世に「反軍演説」として語り継がれることになるこの日の発言は、当時の議事録にしっかりと刻まれています。
帝国議会議事録サイトに眠る、歴史的な瞬間の記録。今回は、その核心を、若者言葉を交えながらわかりやすくひも解いていきます。
目次
この記事でわかること
- 「戦争」を「事変」と呼ぶごまかしをぶった斬り! 当時の首相に「これ戦争だろ!」と斎藤隆夫議員が食い下がった真意とは?
- 「国民の犠牲、マジでわかってる?」 戦争のツケを払わされる国民の苦しみを、国会で叫んだ魂のメッセージに迫る!
- 政府の発表、結局ナニソレ? 「近衛声明」や「東亜新秩序」といった曖昧なスローガンを、斎藤議員が徹底的に問い詰めた内容を暴露!
- 「空気読めない」と叩かれ、議会除名! でも、その後の選挙でまさかのトップ当選!? 歴史が証明した「真実を語る勇気」の重みを知る!
「戦争」なんだよ、これは! 当時の首相に齋藤が突きつけた真実
当時、日本は中国との戦争を「事変」と呼んでいました。しかし、齋藤議員は冒頭からこの欺瞞を切り捨てます。
「今次の事変は、名は『事変』と称すれども、その実は『戦争』でございます。而も、建国以来、未だかつて経験せざる所の大戦争でございます。」
(若者風意訳:今回の戦争はさ、名前は『事変』って言ってるけど、中身は完全に戦争だよ。しかも、日本ができて以来、一度も経験したことのない超大規模な戦争なんだ!)
そして、彼は当時の首相に対し、問いかけます。
「一体、中国事変はどのように終結するのか、いつ終わるのか、いつまで続くのか。政府は『中国事変を処理する』と声明しておりますが、いかにこれを処理しようとされているのか。国民は聞かんと欲して聞くことができず、この議会を通じて聞くことができると期待しない者は、恐らく一人もいないと存じます。」
(若者風意訳:中国事変ってどうなんの? いつ終わるの? いつまで続くん? 政府は『中国事変を処理する』って言ってるけど、具体的にどうするつもり? 国民は知りたいのに教えてもらえなくて、この国会で聞けるって期待してないやつ、多分一人もいないって!)
このストレートな問いは、当時の国民が抱いていたであろう、漠然とした不安と不満を代弁するものでした。
「犠牲」って言葉の重み、わかってる? 国民の苦しみを訴え、議場は騒然
さらに齋藤議員は、戦争が続く中で国民が強いられている多大な犠牲に焦点を当てます。
「この間におきまして、我が国民が払いました犠牲、遠くは海を越えてかの地に転戦する百万、二百万の将兵諸士を始めとして、近くはこれを後援する国民が払いました生命、自由、財産その他一切の犠牲は、この壇上におきまして、いかなる人の口舌をもってするも、その万分の一をも尽くすことはできません。」(拍手)
(若者風意訳:この間に俺ら国民が払った犠牲って、遠く海を越えてあの地で戦ってる何百万もの兵隊さんたちを筆頭に、近くでそれを支えてる国民が払った命、自由、財産、その他のあらゆる犠牲は、この壇上でどんなに言葉を尽くしても、その万分の一すら言い尽くせないんだよ!)(議場、拍手)
その犠牲に見合うだけの具体的な「戦争目的」が不明確であることを厳しく指摘すると、議場からは驚きと賛同の声が上がります。
「このようにして得られました所のこの戦果、斯くして現れました所のこの事実。これを眼中に置かずしては、誰であっても事変処理を論ずる資格はございません。」(「ヒヤヒヤ」拍手)
(若者風意訳:こうやって得られた戦果、こうやって現実になった事実を、無視して事変処理を語る資格なんて、誰にもないんだよ!)(議場から驚きの声と拍手)
彼の演説は、抽象的なスローガンではなく、国民の血と汗と涙の現実を直視せよ、という痛烈なメッセージだったのです。
「近衞声明」って結局何なの? 政府の不明確な方針を徹底追及、またもや議場は…
当時の近衞内閣が発表した「近衞声明」は、日中戦争終結に向けた基本方針とされていました。しかし齋藤議員は、この声明の解釈と、それが本当に国民の犠牲に見合うものなのかを深く疑います。
「近衞声明の中には、どのようなことが含まれておるかと申しますと、大体五つの事柄が示されております。その一つは中国の独立主権を尊重するということでございます。第二は領土を要求しない、償金(賠償金)を要求しないということでございます。(中略)その他、占領地域より日本軍全部を撤兵すると言うのでございます。残るところに何があるか、それが私には分かりません。」
(若者風意訳:近衞声明の中には、大体5つのポイントがあるんだよね。中国の独立主権を尊重するとか、領土も賠償金も取らないとか…てか、占領地域から日本軍は全部撤退するんだよね? じゃあ、一体何が残るの? 俺にはわかんないんだけど。)
彼は、汪兆銘(汪精衛)が近衞声明を文字通りに解釈して新政権樹立に動いていることに触れ、「もし日本がそれを裏切れば国際的信用は地に落ちる」と警告。そして政府に対し、この声明の真の意図と、軍の撤退について、**「政府は、この趣旨をその儘(まま)実行するつもりでございますか?」**と、明確な回答を迫ります。
「日本全国民は断じてこれを承知するものではございません。」(「ヒヤヒヤ」拍手)
(若者風意訳:日本全国民は絶対に納得しないからな!)(議場から驚きの声と拍手)
この発言は、当時の国民が抱える不満や疑問を代弁するものであり、議場の議員たちもそれを感じ取っていたことが伺えます。
「東亜新秩序」って、何それ、美味しいの? 意味不明なスローガンを批判
政府が掲げたもう一つの大義名分、「東亜新秩序建設」。しかし、齋藤議員はこれもまた、中身が曖昧で実態が見えないと批判します。
「東亜新秩序建設とはどのようなことでございましょうか。昨日、外務大臣のご言葉にもあったように存じますが、近頃『新秩序建設』という言葉は、この東洋においてばかりではございません。欧羅巴(ヨーロッパ)においても数年来この言葉が現れておりますのでございます。併(しか)しながら、欧羅巴における新秩序の建設というものは、詰まるところ、持たざる国が持てる国に向かって領土の分割を要求する、即ち一種の国際的共産主義の如きものでございますが、その後の実情を見ますると全然反対でございます。随分持てる所の大国が、持たざる所の小弱国を圧迫し、迫害し、併呑する、一種の弱肉強食でございます。(中略)果たして、その『東亜新秩序建設』の実体は、一体何でございますか?」
(若者風意訳:東亜の新秩序建設って、どういう意味なの? 結局、その『東亜新秩序建設』の本当の中身って、政府から見て何なんだよ? それだけ教えてくれたらいいから!)
彼は、ヨーロッパで同じ言葉が「弱肉強食」を意味していることを例に出し、日本が掲げる「新秩序」も同様に、国民の犠牲の上に成り立つ曖昧なスローガンではないか、と暗に批判したのです。
「私ども実際政治に頭を突っ込んでおります者には、なかなか理解し難いのでございます。」(拍手)
(若者風意訳:俺らみたいに政治の現場で頭突っ込んでるやつには、マジで理解し難いんだけど!)(議場、拍手)
自身の疑問を率直に述べたこの部分でも、議場からは拍手が起こっており、多くの議員が齋藤議員と同じような疑問を抱いていたことがわかります。
覚悟を問われた政府の答弁と、その後の歴史
この齋藤議員の演説に対し、米内光政総理大臣らは、政府の方針は「確乎不動」であると強調しつつも、具体的な内容については踏み込んだ説明を避けました。
米内光政総理大臣: 「中国事変処理に関する帝国の方針は確乎不動のものであります。政府は此の方針に向かって邁進せんとずるものであります。」
(若者風意訳:中国事変の処理に関する俺たち帝国の方針は、マジでブレないから! 政府としては、この方針に向かって全力で進んでいくからね。)
この演説は、当時の軍部や政府にとって、まさに「聖域」への挑戦でした。結果として、齋藤隆夫は議会から除名されますが、その後1942年の総選挙では激しい妨害を受けながらも、国民の支持を得て最高点で再当選を果たしました。これは、彼の言葉が多くの国民の心に響いた証拠と言えるでしょう。この演説は後世に大きな影響を与え、戦争の真実を問い直す声として語り継がれていくことになります。
議事録に刻まれた、一人の政治家の勇気ある発言。そして、それに対する議場の生々しい反応。それは、今を生きる私たちにとっても、権力の監視と真実を追求することの重要性を問いかける、貴重な記録と言えるでしょう。
この日の議事録の全文はこちらで確認できます。 [https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=007513242X00519400202&spkNum=12&single]
あなたは、この演説を読んで何を感じましたか? そして、当時の議場の雰囲気について、他に気づいたことはありますか?
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